Tuesday, April 26, 2005

サクラ

きょう、家の近くの川沿いにある公園に行ってきました。ニュヨーク市長公邸のある公園です。因みに現市長はここを使用していません。

この場所に来るのは二度目で、初めて来たときは気がつかなかったのですが、公園入り口正面には八重桜が二列に並んで満開になっていました。

八重桜は色が濃く、ボテッとした印象を受けます。

NY州の隣のニュージャジー州に、名前は忘れましたが大きな公園があります。そこにはいろいろな種類の桜の木が数千本植えられており、昔花見に出掛けたことがあります。

大勢の人たちが花の下でピクニックをしていました。その様子は日本の花見と変わらぬ光景でした。酔っ払いはいませんでしたが、歌って踊っている人はいました。

桜の下に集うと、独特の雰囲気が生れるのかもしれません。桜に酔うのは日本人だけではないようです。



Thursday, April 21, 2005

おはなし

毎朝、お日さまがのぼるころ、「げんまい寺」からお経がきこえてきます。

ナンマイダ~、ナンマイダ~、ゲンマイダ~・・・

げんまい和尚が仏さんの前にすわって、お経をあげています。

ゲンマイダ~、ゲンマイダ~、ナンマイダ~・・・

びんぼうなお寺なので、仏さんがおられるへやの床はぬけ、てんじょうからは雨漏りが。

夜にあめがふって、てんじょうからは水滴が、トッピンシャン、トッピンシャンと音を立てながらおちてきます。

からだの大きなげんまい和尚は、水滴の音に耳をすませながら、茶色いお顔をてんじょうにむけました。

「インゲンや、インゲン。」

ヒョロッと背の高い小坊主のインゲンが、ろうかをギシギシいわせながらやってきました。

「はい、和尚様、およびでしょうか。」

「水がな、おちてくるので、ばけつかオケをもってきなさい。」


というようなおはなしが、このあとどう続いていくのか不明です。 どうしましょう?








Wednesday, April 20, 2005

Taxi

マンハッタンのイエローキャブ。

ふた昔前は、汚い車が多かった。今はだいぶ改善されています。

相変わらず変わらないのは、まともな英語を話す運転手が少ないこと。

この15年間でまともな英語に出会ったのは5人ぐらいでしょうか。

米国人の白人運転手に出会ったのは三度だけ。一人はれっきとした刑事さんでしたが、娘さんの学資稼ぎのため、署には内緒で運転手をしているとのこと。人を撃ったことは3度あると言っていました。実際に関わった犯罪の話を聞けてたいへんおもしろかった思い出があります。まだNYの治安が悪かった頃の話です。

そういう変わった例を別にすれば、この街でタクシードライバーをやるのは移民をして早々の人たち。
英語が上手いわけがありません。今までいろいろな言語を耳にしてきたつもりでしたが、何語なのか検討も付かない言葉が多いことに驚かされます。みんな寂しいのでしょうか、無線を使って盛んに中間と交信をする人が多いのです。

ところで、きのう乗ったタクシーの運転手さんはご老体で、マンハッタンの道をマイペースでのろのろ。煽られようが警笛をならされようがお構いなし。めずらしくユダヤ系アメリカ人の方でした。

週に五日、午後だけ運転手をしているのだそうです。結婚して37年、妻は冷たくきのうから旅行に出掛けてしまい、娘は30でまだ嫁にもいかず、まあ何となくやっているよ、とのことでした。

おもしろいことに、アメリカ人と判明した運転手さんは、皆よく話しかけてくるのです。

移民系運転手は仲間同士で話し、アメリカ人運転手は客と話す、そういうことなのでしょうか。

Monday, April 18, 2005

さて?

今頃になって、さて、わたしは何をしにこの世に出てきたのだろうと、考えることしきりです。

随分と遅い「なぜだろう?」デビューですが、いったいわたしは何をしに来たのでしょうね?

元々は、高邁な目的を持ってこの世に下りてきたのでしょうが、その目的を思い出せませんし、全く見当違いのことをしているような気がします。

以前ある方から、自分の使命が理解できた瞬間には、「カチッという音がする」という話を伺いました。その方の場合、カチッという音がして、すべてが腑に落ちたとのこと、これをおそらく悟った状態と呼ぶのでしょう。

この一生のうちでいつでもいいので、なぜ自分がこの世にいるのかを知ることができて、少しでもその目的に対応することができたらいいなあと、虫のいいことを考えています。

さて、どなたか簡単に気付く方法をご存知ありませんか?

Friday, April 15, 2005

幼友達

初めて知合ったのは私が5歳、彼女は4歳だったと思います。今から45年前のことです。

その後時は流れ、彼女は20歳で駆け落ちをし、一男一女を儲けました。下の娘さんが生れた年に我々は再開をします。その頃はとても幸せそうでしたが、その後離婚して、女手一つで二人の子を育てていました。私が40を過ぎて結婚をしてからも彼女がNYにやってきたり、こちらから出かけて行ったりという関係は続いていました。

年が改まって、彼女からメールが届きました。あなたをとっても驚かせるニュースがあるの、明日のメールで教えてあげるね、という内容のメールです。

驚かされる前に先に驚かしてやろうと思い、僕に子供ができたよ、と知らせてやりました。
するとすぐに返事が返ってきました。私のニュースに大喜びしてくれた上で、実は自分の娘も留学先で子供を授かり、自分がおばあちゃんになることを知らせてきたのです。

50の父親と、49の祖母、おもしろいね、と互いの慶びを分かち合いました。

私はあなたの子供の叔母を名乗ってもいいわよね、生れて落着いたら会いにいくから、とその気十分です。娘の子とあなたの子を会わせたいわ、と話はどんどん膨らむ一方。

きのうのメールでは、超音波診断によると胎児(女の子)は既に体重3キロ、予定月は来月5月です。もっとも母親は175センチぐらいありますから、それ位あってもいいのかな。でも大きいですね。

一方、こちら(女の子)は今日現在で960グラム、予定月は7月。母親は150センチですからそんなものかな。それなりに順調だ、とのこと。

二人が出会って45年、それぞれの娘と孫娘はどのような出会いをするのでしょう。何語で会話を交わすのかな。


Saturday, April 09, 2005

春

暖かくなってきました。

まだ裸に見える樹に目を凝らすと、若緑色のつぼみが芽吹いています。

冬の間は人っ子一人いなかった公園からは、小さな子供たちの歓声が聞こえてきます。

氷が浮かび凍てついていた川には、川面の光の反射を浴びて遊覧船がゆっくりと下っていきます。

鳥のさえずりは音階が豊かになり、散歩をする犬の尻尾もゆったりとして見えます。

セントラルパークを通るバスからは、レンギョウ(連翹)の鮮やかな黄色が目に飛び込んできます。

身体がほっとしているのがわかります。春だから・・・もちろんそれもあります。

でも一番の要因は、身体中の水分が蒸発してしまうほど暑い暖房がなくなったお蔭です。外気温が一定温度を下回ると、室内温度は何度以上必要と法律で定められているので、冬の間は任意に温度調整ができないのです。厳寒の外出から戻ってきたときは、とてもありがたいのですが・・・。

室内湿度もようやく砂漠状態を抜け出せました。

アパートの内も外も、やっと春がやってきた、心からそんな感じがします。

Tuesday, April 05, 2005

長寿の国・・・

日本最高齢114歳の方が亡くなられたそうです。さすがに「平均寿命」世界一の国、日本です。

でも、日本が世界一の「長寿」の国ではないことはご存知ですか?

長寿というと、100歳以上の方をわたしはイメージします。
日本には2004年時点で、100歳以上の方は2万3千人生活しておられます。
50年ほど前は150名だったそうですから、たいへんな伸びようです。

日本よりも100歳以上の人口が多い国なんてあるのかって思いますよね。
それがあるんです。すごく身近な国ですよ。

答えは、アメリカ合衆国。

「えー、あんな不健康大国が・・・?」って思うでしょ。本当なんです。

国民の17%は健康保険を持たず、肥満大国と揶揄されているあの(この)アメリカです。

日本と米国を直接比較できる2002年のデータがあります。それによると、日本1万8千人に対して、米国5万9千人。両国の人口比はほぼ1:2ですから、実質的に米国の方が1.6倍も100歳以上の方が生活しているのです。

実は数年前、この差はもっと大きかったのです。近年日本が追いついてきました。1997年当時、この事実に気がついたわたしは唖然としました。長寿は日本人に残された数少ない誇りだと思っていたからです。

なぜ米国の方が?と不思議に思います。研究者の間でも、はっきりとした理由はわからないようです。食材の質に言及する方もいます。同じ食材、例えば同じ野菜を比較した場合、米国産の方がミネラル分が多いことはよく指摘されることです。物事の考え方をあげる人もいます。案外、土地が広いせいかもしれません。

「日本は世界一の長寿国で・・・」と言うのはまだ少し早いようです。平均寿命というのはあくまでも予測値ですから、これをもって世界一を謳うのはちょっと気が引けますね。実態がなかったのに、一時世界一を誇っていたどこかの国の金融機関に似ていなくもありません。

さて、わたしが生れた当時の日本の平均寿命は何歳だったのでしょう?それぐらいは何とかクリヤしたい。

せっかくこの世に出てきたのですから、がんばろっと。








Sunday, April 03, 2005

コーチングの成果

コーチングを始めて以来、最大の成果と言えば・・・自分の体質が変わったこと。

風がふいて、桶屋が儲かった話です。

コーチングを学び始めた頃、コーチングがどういうものか体験したいという家内の要望もあって、夫婦間コーチングを3ヶ月間実施しました。我家は財布が別々なので、料金はキチンと頂戴してのコーチングです。

テーマは「食」。  

家内はもともと料理が好きで、人様に振舞うのも好きな人です。
コーチングを通して明らかになったことは、ただ美味しいものを作って饗するのではなく、美味しくてさらに身体に良いものを提供していきたいという、彼女の切実な想いでした。

例えば、本格的な仏料理は確かにおいしいのですが、それに投入される素材の量を耳にすると、ちょっと寒気がします。家内はそれを目の当たりに体験し、ずっと疑問に思っていたようです。

わたしも家内とのコーチングを通じて、「食」の本来の役割が少しずつ理解できました。
コーチングが終了する頃から、どちらから言うともなく、我家の食生活は大きく舵を切ったのです。

玄米と根菜中心の食卓登場です。大変革のはずでしたが、3ヶ月間のリードオフタイムのお蔭で、何の抵抗もなく、自然に移行できました。しかも料理人(家内)の腕が良いので、饗されるものがおいしいことも幸いしました。仏料理で学んだ技術が無駄になっていませんでした。

因みにわたしは人生の半分が海外生活で、小さい頃から一日牛乳2リットルを飲み、乳製品が大好きで、牛を中心とした肉食中心という生活を長年送ってきました。食後は必ずデザートを、というスタイルがずっと続いていたのです。

この変革で、これが自分の体質、と思い込んでいたことが、実は食べ物によるものであることが分かってしまいました。 性格まで変わったようです。

現在、大げさではなく、今までの人生で一番健康体であると実感しています。

これも家内のお蔭、そしてそのきっかけとなったコーチングのお蔭です。
コーチングに出会ったのは、もしかしたらこのためだったのかもしれない、と思うほどです。

他人ばかりでなく、身近な大切な人とコーチングをするといいことありますよ、きっと。